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お願い(理科の資料集を譲って下さい)
皆さんが中学生の時に使っていた理科便覧(一般に資料集と呼ばれていた副教材です。実験や観察に関する写真が多く載っています。)覚えていますか?
「たしかウチの押入れに入っているよ」という方は結構多くいらっしゃると思います。
でも、中学卒業とともに見る機会なんて無くなってしまったのではないでしょうか?
... そんないつかは必ず捨てられてしまう運命の不用と化した理科便覧を復活させたくはありませんか?
私は2012年1月からカンボジアへ中学校理科教育の指導を行う青年海外協力隊に参加します。
カンボジアにも理科教育は存在しますが、暗記中心で観察したり実験したりするような日本で私達が受けていた当たり前の理科教育が存在しません。
教科書もすべて白黒です。
実は、私は2009年1月から2年半、カンボジアの教員養成学校で理科教育に携わっていました。
具体的には簡単な物、身の回りの物で実験道具を作ったり、理科の授業がより生徒にわかりやすくするための活動を行っていました。
その際、私が中学生の時に使っていた理科便覧を養成校の学生(先生の卵たち)に見せたところ、大変好評で、「是非、自分達が将来行う授業でこども達に見せてあげたい」と言ってくれました。
もちろん先生達が実験準備をサボるために理科便覧をあげるのではありません。
日本の理科便覧は写真が多く掲載されているため、大変見やすく構成されているのです。
実際に授業をしていると、実験や観察しにくい単元というのがどうしても出てきます。
そんな時、写真を見ればその現象を理解しやすいのです。
こどもたち全員に理科便覧を行き渡らせるのはとても無理なことです、しかし、授業中にこどもたちを班分けして使用すれば、1校あたり数冊で済むことができます。
さらに、その学校で何世代に渡って使うことも可能なのです(少なくともカンボジアでそれと同等以上の教材ができるまでは)。
カンボジアの人たちが使うので、日本語で書かれている内容を読むことはできません。
そのため、私とカンボジア人の先生との共同作業で翻訳を付けていきます。
もし、譲っていただける方がいらっしゃいましたら、まずは私までご連絡下さい(メッセージを送って下さい)。こちらから発送方法等、追って連絡いたします。
後日、カンボジアの方からのお礼のメッセージをエアメールにて郵送しようと思っております。
「たしかウチの押入れに入っているよ」という方は結構多くいらっしゃると思います。
でも、中学卒業とともに見る機会なんて無くなってしまったのではないでしょうか?
... そんないつかは必ず捨てられてしまう運命の不用と化した理科便覧を復活させたくはありませんか?
私は2012年1月からカンボジアへ中学校理科教育の指導を行う青年海外協力隊に参加します。
カンボジアにも理科教育は存在しますが、暗記中心で観察したり実験したりするような日本で私達が受けていた当たり前の理科教育が存在しません。
教科書もすべて白黒です。
実は、私は2009年1月から2年半、カンボジアの教員養成学校で理科教育に携わっていました。
具体的には簡単な物、身の回りの物で実験道具を作ったり、理科の授業がより生徒にわかりやすくするための活動を行っていました。
その際、私が中学生の時に使っていた理科便覧を養成校の学生(先生の卵たち)に見せたところ、大変好評で、「是非、自分達が将来行う授業でこども達に見せてあげたい」と言ってくれました。
もちろん先生達が実験準備をサボるために理科便覧をあげるのではありません。
日本の理科便覧は写真が多く掲載されているため、大変見やすく構成されているのです。
実際に授業をしていると、実験や観察しにくい単元というのがどうしても出てきます。
そんな時、写真を見ればその現象を理解しやすいのです。
こどもたち全員に理科便覧を行き渡らせるのはとても無理なことです、しかし、授業中にこどもたちを班分けして使用すれば、1校あたり数冊で済むことができます。
さらに、その学校で何世代に渡って使うことも可能なのです(少なくともカンボジアでそれと同等以上の教材ができるまでは)。
カンボジアの人たちが使うので、日本語で書かれている内容を読むことはできません。
そのため、私とカンボジア人の先生との共同作業で翻訳を付けていきます。
もし、譲っていただける方がいらっしゃいましたら、まずは私までご連絡下さい(メッセージを送って下さい)。こちらから発送方法等、追って連絡いたします。
後日、カンボジアの方からのお礼のメッセージをエアメールにて郵送しようと思っております。
自立することは必要か [青年海外協力隊 現地活動報告]
期限を区切ってどこまでは助けるがそれ以上は助けない。すなわち自立を促すことは大切だ。
一方で、自立できない者がそのまま切り捨てられる可能性も残っている。
そういう者をサポートする者の存在は必要である。皆が皆同じ時期に自立できるということはあり得ないからだ。
だが、そのサポートに依存しすぎて結局は自立できないままになってしまうことも良くない。
援助・支援慣れの始まりである。
それでは自立ってなんだろう。
国家にしても一個人にしても完全自立なんてあり得ないと思う。
例えば先進国と言われている日本は自立できているのか?
食料自給率はわずか30%。70%は外国からの輸入に頼っている。
軍事力はかなり強力だとは言え、アメリカと安保を結んでいる。
これでも日本は自立できていると言えるのか?
また、一個人について言ってみると、国民健康保険や雇用保険、任意で生命保険に入っている者が大多数ではないか?
これらはすべて困ったときに助けてもらう制度だ。
自立の定義を決めることって難しいなぁ。
じゃあ、誰にも助けを求めないことを自立と仮定すると、自立するって本当に必要なのか?
日本では最近バリアフリー化が進んできて、特にお年寄りを中心に以前よりも便利な生活を送ることができつつある。
駅に行けばエスカレータにエレベータ。お年寄りは誰の助けも借りずにホームまで行くことができる。
車椅子の人だって、駅員を呼べば電車に乗せてくれ、着いた駅のホームにはその駅の駅員が待機していて駅を離れるまでは車椅子を押してくれる。
ではちょっと昔(僕らが子供だった20年前)と比べてみよう。
当時の駅は長い階段でお年寄り達はさぞその上り下りに苦労しただろう。
でも、当時はエスカレータもエレベータも無かったから、大変そうにしているお年寄りを見れば自然と「大丈夫ですか」とか「お荷物お持ちしますよ」という会話が生まれた。
一方、バリアフリーの進んだ現代では、お年寄りを見ても、エスカレータで自力で上ればよいと誰もが思ってしまうため、お年寄りに声をかけるという環境が無くなってしまった。
行き過ぎた効率化を求めるあまり機械と睨めっこをしていて人と人との交流が無い。
自立=孤立
現代日本はこうなってしまっている。
皮肉なようですが、少し不便なところがある方がかえって人々の絆を強め、良い社会を作って行けるような気がする。
一方で、自立できない者がそのまま切り捨てられる可能性も残っている。
そういう者をサポートする者の存在は必要である。皆が皆同じ時期に自立できるということはあり得ないからだ。
だが、そのサポートに依存しすぎて結局は自立できないままになってしまうことも良くない。
援助・支援慣れの始まりである。
それでは自立ってなんだろう。
国家にしても一個人にしても完全自立なんてあり得ないと思う。
例えば先進国と言われている日本は自立できているのか?
食料自給率はわずか30%。70%は外国からの輸入に頼っている。
軍事力はかなり強力だとは言え、アメリカと安保を結んでいる。
これでも日本は自立できていると言えるのか?
また、一個人について言ってみると、国民健康保険や雇用保険、任意で生命保険に入っている者が大多数ではないか?
これらはすべて困ったときに助けてもらう制度だ。
自立の定義を決めることって難しいなぁ。
じゃあ、誰にも助けを求めないことを自立と仮定すると、自立するって本当に必要なのか?
日本では最近バリアフリー化が進んできて、特にお年寄りを中心に以前よりも便利な生活を送ることができつつある。
駅に行けばエスカレータにエレベータ。お年寄りは誰の助けも借りずにホームまで行くことができる。
車椅子の人だって、駅員を呼べば電車に乗せてくれ、着いた駅のホームにはその駅の駅員が待機していて駅を離れるまでは車椅子を押してくれる。
ではちょっと昔(僕らが子供だった20年前)と比べてみよう。
当時の駅は長い階段でお年寄り達はさぞその上り下りに苦労しただろう。
でも、当時はエスカレータもエレベータも無かったから、大変そうにしているお年寄りを見れば自然と「大丈夫ですか」とか「お荷物お持ちしますよ」という会話が生まれた。
一方、バリアフリーの進んだ現代では、お年寄りを見ても、エスカレータで自力で上ればよいと誰もが思ってしまうため、お年寄りに声をかけるという環境が無くなってしまった。
行き過ぎた効率化を求めるあまり機械と睨めっこをしていて人と人との交流が無い。
自立=孤立
現代日本はこうなってしまっている。
皮肉なようですが、少し不便なところがある方がかえって人々の絆を強め、良い社会を作って行けるような気がする。
カンボジア通信(最終号) [青年海外協力隊 現地活動報告]
『ひたちとあじあの文化交流を進める会』に寄稿しました。
7月4日に書いたものです。
2009年1月から2年半年間、青年海外協力隊員としてカンボジアで過ごしてきましたが、7月に活動を終えて帰国いたします。カンボジア通信への寄稿は今号で最後になります。
私は協力隊に参加する前、教師をしていませんでした。もともと大学で専攻した学科には教育養成コースは無く、教師への道を諦めて企業に就職しました。それでも、いつかは教育に携わりたいという思いを持ち続けていました。そのような折にカンボジアでの教員養成の仕事に携わることになりました。一度諦めた教育への道でしたが、カンボジアに来る事で私の夢がひとつかないました。そんな私の夢を叶えてくれたカンボジアに本当に感謝しています。
2年半の活動を通して、カンボジアには真面目で勤勉な人が多いと感じました。さすがあの巨大遺跡アンコールワットを建造した先祖を持つ人々です。私はカンボジアの教育に対する『支援』という名目で活動をしてきましたが、実際には現地の人々との交流を通して、彼らから助けられた事、学んだ事の方がはるかに多かったです。やはり、現地の人々の力添え無くてはいくら先進国の知恵や技術をもっていても、現地には普及して行かないということを痛感しました。カンボジアの人々と共に汗をかき、苦楽を共にできたことは私の人生における宝です。
私が関わったカンボジアの教育ですが、まだまだ問題が山積みです。子供の低就学率、低識字率、教材や教師の不足などです。それでも、だからと言って日本のような教育システムにするのも良くないと思いました。日本にも教育上の問題が数多く存在します。カンボジアではまず考えられない陰湿ないじめ、学級崩壊などは学校教育がもはや当たり前になってしまった日本特有の問題に感じます。
物質的に恵まれ便利になった日本と比較してカンボジアはまだまだ不便です。何もかもが手作業ですし、社会的弱者は放置されたままです。ただ、その分人々が助け合っている社会であると印象を受けました。日本では自立することが良い事という価値観がありますが、実際には誰とも関わりを持たない、つまりは孤立してしまって精神を病まれている人々も数多くいるのが現状です。カンボジアではこのような問題はほとんど聞きません。皮肉なようですが、少し不便なところがある方がかえって人々の絆を強め、良い社会を作って行けるような気がします。
また、日本では良いとされている効率化社会にも疑問を感じます。国づくり、人づくりには機械作業的に効率を考えるのでは無く、真正面からカンボジア社会に飛び込んでいって試行錯誤を重ねながらその国にあったやり方を探ることが必要不可欠です。そのため、支援には型というものが存在せず、私達ボランティアはいろいろな方法をカンボジアの人々に紹介し、それをカンボジアの人々に取捨選択してもらうことが必要です。それには多くのインプットが必要になってくるのです。
カンボジアは今まさに急速に発展しています。鉄道が再敷設され、高層ビルが建ち、道は次々に舗装されています。3ヶ月も経てば街並みはどんどん変わります。そのため、カンボジアもどんどん効率化社会に向かっていくのでしょう。カンボジアが発展していく事は良い事ですが、決して日本のコピーにはなってもらいたくはありません。私は帰国後もカンボジア社会の変化を見守りつつ、カンボジアファンが増えてくれるような活動をしていけたらと考えています。
今までカンボジア通信を読んでくださった方々、日本から私の活動を支えてくれた方々、本当にありがとうございました。日本に帰って皆さんとお会いできることが楽しみです。ひたちとアジアの方々におかれましては外国人留学生や研修生などと多く交流されているとは思いますが、これからも温かい手を差し伸べ、彼らにとっての第二の故郷、第二のお母さん・お父さんになり続けていっていただくことを願ってやみません。
写真)①理化実験クラブに参加する1年生達と
②私の送別会

7月4日に書いたものです。
2009年1月から2年半年間、青年海外協力隊員としてカンボジアで過ごしてきましたが、7月に活動を終えて帰国いたします。カンボジア通信への寄稿は今号で最後になります。
私は協力隊に参加する前、教師をしていませんでした。もともと大学で専攻した学科には教育養成コースは無く、教師への道を諦めて企業に就職しました。それでも、いつかは教育に携わりたいという思いを持ち続けていました。そのような折にカンボジアでの教員養成の仕事に携わることになりました。一度諦めた教育への道でしたが、カンボジアに来る事で私の夢がひとつかないました。そんな私の夢を叶えてくれたカンボジアに本当に感謝しています。
2年半の活動を通して、カンボジアには真面目で勤勉な人が多いと感じました。さすがあの巨大遺跡アンコールワットを建造した先祖を持つ人々です。私はカンボジアの教育に対する『支援』という名目で活動をしてきましたが、実際には現地の人々との交流を通して、彼らから助けられた事、学んだ事の方がはるかに多かったです。やはり、現地の人々の力添え無くてはいくら先進国の知恵や技術をもっていても、現地には普及して行かないということを痛感しました。カンボジアの人々と共に汗をかき、苦楽を共にできたことは私の人生における宝です。
私が関わったカンボジアの教育ですが、まだまだ問題が山積みです。子供の低就学率、低識字率、教材や教師の不足などです。それでも、だからと言って日本のような教育システムにするのも良くないと思いました。日本にも教育上の問題が数多く存在します。カンボジアではまず考えられない陰湿ないじめ、学級崩壊などは学校教育がもはや当たり前になってしまった日本特有の問題に感じます。
物質的に恵まれ便利になった日本と比較してカンボジアはまだまだ不便です。何もかもが手作業ですし、社会的弱者は放置されたままです。ただ、その分人々が助け合っている社会であると印象を受けました。日本では自立することが良い事という価値観がありますが、実際には誰とも関わりを持たない、つまりは孤立してしまって精神を病まれている人々も数多くいるのが現状です。カンボジアではこのような問題はほとんど聞きません。皮肉なようですが、少し不便なところがある方がかえって人々の絆を強め、良い社会を作って行けるような気がします。
また、日本では良いとされている効率化社会にも疑問を感じます。国づくり、人づくりには機械作業的に効率を考えるのでは無く、真正面からカンボジア社会に飛び込んでいって試行錯誤を重ねながらその国にあったやり方を探ることが必要不可欠です。そのため、支援には型というものが存在せず、私達ボランティアはいろいろな方法をカンボジアの人々に紹介し、それをカンボジアの人々に取捨選択してもらうことが必要です。それには多くのインプットが必要になってくるのです。
カンボジアは今まさに急速に発展しています。鉄道が再敷設され、高層ビルが建ち、道は次々に舗装されています。3ヶ月も経てば街並みはどんどん変わります。そのため、カンボジアもどんどん効率化社会に向かっていくのでしょう。カンボジアが発展していく事は良い事ですが、決して日本のコピーにはなってもらいたくはありません。私は帰国後もカンボジア社会の変化を見守りつつ、カンボジアファンが増えてくれるような活動をしていけたらと考えています。
今までカンボジア通信を読んでくださった方々、日本から私の活動を支えてくれた方々、本当にありがとうございました。日本に帰って皆さんとお会いできることが楽しみです。ひたちとアジアの方々におかれましては外国人留学生や研修生などと多く交流されているとは思いますが、これからも温かい手を差し伸べ、彼らにとっての第二の故郷、第二のお母さん・お父さんになり続けていっていただくことを願ってやみません。
写真)①理化実験クラブに参加する1年生達と
②私の送別会

こちらはクメール正月です [青年海外協力隊 現地活動報告]
こちらカンボジアではクメール正月の時期を迎えました。
昨日はとうとう室内で37度を観測。
これからもっと暑くなっていきます。
また、17日に誕生日を迎えいよいよ三十路突入です。
カンボジアではこの時期はお正月でカンボジアの友人に誕生日を祝ってもらいました。
日本のお正月のように、カンボジア人もお寺に参拝に行きます。
バッタンバンにも有名なお寺があってワット・プノン・バナンやワット・プノン・サンポーには多くの参拝客で賑わっていました。
ただ、こちらは一番暑い時期なので、水かけ祭りです。
移動中には沿道から水がかけられ、移動中のピックアップトラックからも水をかけて応戦します。
ビニール袋に水を入れて相手に投げつけるためいたるところにビニール袋のゴミで埋め尽くされ、ちょっと嫌な気分にもなってしまいました。
実はこの遊び、危険だということで公には禁止されているのです。

コンピンプイという農業用ダムで水遊びをするつもりでしたが、いざ行ってみると芋を洗うような人ごみだったので、とても水遊びをする気にはならず、昼食をとっただけで帰ってきてしまいました。

それでもカンボジアの人々と過ごすクメール正月は小さな頃に家族と過ごした正月の気分がして、そんな懐かしい思い出と重なりました。
おととしは下痢で寝込んでいたし、去年はタイにいました。
クメール正月を楽しめたのは実は今年が最初なのです。
皆様、今年も30代になった私との変わらぬお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
昨日はとうとう室内で37度を観測。
これからもっと暑くなっていきます。
また、17日に誕生日を迎えいよいよ三十路突入です。
カンボジアではこの時期はお正月でカンボジアの友人に誕生日を祝ってもらいました。
日本のお正月のように、カンボジア人もお寺に参拝に行きます。
バッタンバンにも有名なお寺があってワット・プノン・バナンやワット・プノン・サンポーには多くの参拝客で賑わっていました。
ただ、こちらは一番暑い時期なので、水かけ祭りです。
移動中には沿道から水がかけられ、移動中のピックアップトラックからも水をかけて応戦します。
ビニール袋に水を入れて相手に投げつけるためいたるところにビニール袋のゴミで埋め尽くされ、ちょっと嫌な気分にもなってしまいました。
実はこの遊び、危険だということで公には禁止されているのです。
コンピンプイという農業用ダムで水遊びをするつもりでしたが、いざ行ってみると芋を洗うような人ごみだったので、とても水遊びをする気にはならず、昼食をとっただけで帰ってきてしまいました。
それでもカンボジアの人々と過ごすクメール正月は小さな頃に家族と過ごした正月の気分がして、そんな懐かしい思い出と重なりました。
おととしは下痢で寝込んでいたし、去年はタイにいました。
クメール正月を楽しめたのは実は今年が最初なのです。
皆様、今年も30代になった私との変わらぬお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
義援金の呼びかけ [青年海外協力隊 現地活動報告]
東日本大震災の義援金の呼びかけを私が配属しているカンボジア・バッタンバン教員養成校で行いました。
全校朝礼時にほんの少し時間をもらって、地震の被害の大きさなどを話し、「日本は今、少しでも多くの支援が必要だ」
ということを訴えたところ、同僚の先生や学生達が次から次へとお金をもってきてくれました。
総額470500リエル。
約10000円が一日で集まりました。
(ちなみにカンボジアの教員の平均月収は約5000円です)
校長も私も
「まさかここまで集まるとは!」
と、その額の大きさに驚かされました。
正直、貧しい出身の多い学生達に義援金を求めて善いのかどうか、私自身かなり悩みました。
そのため、義援金の呼びかけを躊躇してしまい、地震発生からもう約二十日も経ってしまいました。
でも、今は私と同じ日本人が困っている時、カンボジアにいる自分ができることとは一体何だろう、と考えた結果、今回は少しでもカンボジアの人々に助けてもらおうと思いました。
また、卒業生からも連絡があり、彼が勤めている学校でも自主的に義援金を集めてくれているそうです。
本当に感謝、感謝です。
配属先学校の先生達と学生達をはじめ、卒業生や義援金をくれたカンボジアの人たちに感謝です。
集まった義援金は来週、首都プノンペンの義援金窓口になっている日本大使館にお渡しします。
全校朝礼時にほんの少し時間をもらって、地震の被害の大きさなどを話し、「日本は今、少しでも多くの支援が必要だ」
ということを訴えたところ、同僚の先生や学生達が次から次へとお金をもってきてくれました。
総額470500リエル。
約10000円が一日で集まりました。
(ちなみにカンボジアの教員の平均月収は約5000円です)
校長も私も
「まさかここまで集まるとは!」
と、その額の大きさに驚かされました。
正直、貧しい出身の多い学生達に義援金を求めて善いのかどうか、私自身かなり悩みました。
そのため、義援金の呼びかけを躊躇してしまい、地震発生からもう約二十日も経ってしまいました。
でも、今は私と同じ日本人が困っている時、カンボジアにいる自分ができることとは一体何だろう、と考えた結果、今回は少しでもカンボジアの人々に助けてもらおうと思いました。
また、卒業生からも連絡があり、彼が勤めている学校でも自主的に義援金を集めてくれているそうです。
本当に感謝、感謝です。
配属先学校の先生達と学生達をはじめ、卒業生や義援金をくれたカンボジアの人たちに感謝です。
集まった義援金は来週、首都プノンペンの義援金窓口になっている日本大使館にお渡しします。
カンボジアからのメッセージ [青年海外協力隊 現地活動報告]
宮城県のある被災地広報支援ボランティアを通して、カンボジアから『元気な笑顔とエールを被災された方々に送る』という趣旨で、私が活動しているカンボジア・バッタンバン教員養成校の科学クラブに参加する学生達がお見舞いの手紙を書きました。

まずは全体写真↑です。
続いて各班ごとの写真とメッセージです。

お見舞い
私たちはカンボジア・バッタンバン州教員養成学校に通う師範学生です。私たちは日本が地震と津波により被災し多くの方がお亡くなりになったことを大変残念に思います。
どうか日本のすべての方々が元気を取り戻し、思いやりをもってお互いに助け合っていただけたらと思います。
第1班
コーイ・ブンルー
ターン・ティア
チョーム・テブン
ペイッ・チャントーン
ソル・サラーイ
クム・マカラー

お見舞い
私たちはカンボジアの師範学校に通う学生です。私たちは地震や津波といった深刻な自然災害により家や兄弟、ご両親をなくされた方々、特に一万名以上の方が命を落とされた事をとても残念に思っています。私たちは残念に思うと共に、被災された方々に対してこのお手紙とともにお見舞い申し上げます。また私たちはわずかではありますが義援金を集めているところです。
日本国と日本のすべての皆さんが元気を取り戻し、これ以上他の災害に遭われないことを願っています。
第2班
ミエイ・リアピア
トール・アロンロスメイ
リエム・チャンティー
オック・セーン
チェーン・セイ
ボーク・モム

お見舞い
私たちすべてのカンボジア人は2011年3月11日に日本で起こった大震災で多くの方々が命を落としたことを非常に残念に思います。
第3班
ハール・ソペァックトラー
ニュップ・フーン
ノー・サルーン
ロー・セッラー
リー・ジェンダー
アート・オーン

お見舞い
日本の皆様へ
私たちカンボジア人は2011年3月11日に起こった地震を大変残念に思っています。私たちはこのような大きな自然災害を今まで聞いたことがありません。大切な命や財産を失ったすべての方々に対して、私たちは大きな悲しみを感じています。
命ある方々が希望を捨てずに勇気を出して国を再建し前進していって下さい。
第4班
チーン・チーバー
スロン・ソッケイ
ヴァ・ソペァック
チューン・チャンレッド
ティー・チャンナ
リーウ・ソコム
まずは全体写真↑です。
続いて各班ごとの写真とメッセージです。
お見舞い
私たちはカンボジア・バッタンバン州教員養成学校に通う師範学生です。私たちは日本が地震と津波により被災し多くの方がお亡くなりになったことを大変残念に思います。
どうか日本のすべての方々が元気を取り戻し、思いやりをもってお互いに助け合っていただけたらと思います。
第1班
コーイ・ブンルー
ターン・ティア
チョーム・テブン
ペイッ・チャントーン
ソル・サラーイ
クム・マカラー
お見舞い
私たちはカンボジアの師範学校に通う学生です。私たちは地震や津波といった深刻な自然災害により家や兄弟、ご両親をなくされた方々、特に一万名以上の方が命を落とされた事をとても残念に思っています。私たちは残念に思うと共に、被災された方々に対してこのお手紙とともにお見舞い申し上げます。また私たちはわずかではありますが義援金を集めているところです。
日本国と日本のすべての皆さんが元気を取り戻し、これ以上他の災害に遭われないことを願っています。
第2班
ミエイ・リアピア
トール・アロンロスメイ
リエム・チャンティー
オック・セーン
チェーン・セイ
ボーク・モム
お見舞い
私たちすべてのカンボジア人は2011年3月11日に日本で起こった大震災で多くの方々が命を落としたことを非常に残念に思います。
第3班
ハール・ソペァックトラー
ニュップ・フーン
ノー・サルーン
ロー・セッラー
リー・ジェンダー
アート・オーン
お見舞い
日本の皆様へ
私たちカンボジア人は2011年3月11日に起こった地震を大変残念に思っています。私たちはこのような大きな自然災害を今まで聞いたことがありません。大切な命や財産を失ったすべての方々に対して、私たちは大きな悲しみを感じています。
命ある方々が希望を捨てずに勇気を出して国を再建し前進していって下さい。
第4班
チーン・チーバー
スロン・ソッケイ
ヴァ・ソペァック
チューン・チャンレッド
ティー・チャンナ
リーウ・ソコム
嬉しい知らせ [青年海外協力隊 現地活動報告]
(この文章の一部は2010年4月23日のものです)
大学にいた頃に家庭教師で教えていた双子の姉妹から大学に合格したという嬉しい知らせをもらいました。
二人が中学三年生の時、一年間高校受験まで付き合ったのですが無事に進路が決まってほっとしています。
しっかりもののお姉さんの方は東京で、おっとり気味の妹の方は仙台でそれぞれ大学生生活を始めているそうです。
そして、嬉しいことを言ってくれるものです。
それは、
『私は面接で協力隊に参加している先生のことを話したので、合格できたのは自分だけの力ではありません』と。
いやいや、私は何もしていませんよ。
彼女達はとても勉強ができたので、合格した大学の名前を聞いたとき「この大学は彼女達にとっての第一希望ではないな」と思いました。
希望の大学を目指して努力することはとても大切なことだと思います。
でも、大学時代に勉強もそうですが、サークルとか趣味とかバイトとか、やりたいことを思いっきりやる事の方がもっと大切なことだと思います。
そういうことをしてきた人ほど、人生を豊かにし、大きな人間になるんだと思います。
勉強できる環境に身をおくことができるって本当に素晴らしいことだとカンボジアにいるとつくづく思います。
自分が今、十年前の大学一年生に戻れたとしたらあの時よりもずっと有意義な生活ができる自信があります。
例えば長い夏休みにバイトして、長い春休みに世界一周するとか。。。
もっと資格を取るために勉強するとか。。。
でもそんなことは過去の話、もっと現実を見ていかねば!!
大学にいた頃に家庭教師で教えていた双子の姉妹から大学に合格したという嬉しい知らせをもらいました。
二人が中学三年生の時、一年間高校受験まで付き合ったのですが無事に進路が決まってほっとしています。
しっかりもののお姉さんの方は東京で、おっとり気味の妹の方は仙台でそれぞれ大学生生活を始めているそうです。
そして、嬉しいことを言ってくれるものです。
それは、
『私は面接で協力隊に参加している先生のことを話したので、合格できたのは自分だけの力ではありません』と。
いやいや、私は何もしていませんよ。
彼女達はとても勉強ができたので、合格した大学の名前を聞いたとき「この大学は彼女達にとっての第一希望ではないな」と思いました。
希望の大学を目指して努力することはとても大切なことだと思います。
でも、大学時代に勉強もそうですが、サークルとか趣味とかバイトとか、やりたいことを思いっきりやる事の方がもっと大切なことだと思います。
そういうことをしてきた人ほど、人生を豊かにし、大きな人間になるんだと思います。
勉強できる環境に身をおくことができるって本当に素晴らしいことだとカンボジアにいるとつくづく思います。
自分が今、十年前の大学一年生に戻れたとしたらあの時よりもずっと有意義な生活ができる自信があります。
例えば長い夏休みにバイトして、長い春休みに世界一周するとか。。。
もっと資格を取るために勉強するとか。。。
でもそんなことは過去の話、もっと現実を見ていかねば!!
祭り最終日の大惨事 [青年海外協力隊 現地活動報告]
(この文章は2010年11月23日のものです)
水祭りの四連休でプノンペンでは盛大にボートレースが行われていましたが、本日未明に大惨事が起こってしまいました。
ヤフーとかのニュースでもやっていますが、プノンペンの市街とトンレサップ川の中洲(ダイヤモンド島)を結ぶ橋の上で見物客が押し合いへし合いになり次々に転倒して重なり合い、現在のところ345人が亡くなったそうです。
実は先週、友達の誕生日会をこの橋の近くのレストランで行い、私はこの橋を始めて渡ってダイヤモンド島に行きました。
ダイヤモンド島は「ここは本当にプノンペンか」と思えるほどきれいに整備されていて、まるでお台場のようでした。
遊園地や何組ものカップルが同時に結婚式ができるような巨大施設もあるのです。
でも、それにしてはこの島を結ぶ橋は小さすぎるなと思いました。
私が歩いて橋を渡っていると、結婚式場から自宅に帰る多くの車が向かってきたのですが、歩道も無く何度も車と接触しそうになり(車はのろのろ運転でしたが)ちょっと怖かったです。
家族からメールがありました。
「大変な事が起こったね でも、あんたがその中にいなくて良かったよ 自身が気をつけられることはやって無事な帰国をしてください。」
友達がその中に含まれていないか、心配です。
水祭りの四連休でプノンペンでは盛大にボートレースが行われていましたが、本日未明に大惨事が起こってしまいました。
ヤフーとかのニュースでもやっていますが、プノンペンの市街とトンレサップ川の中洲(ダイヤモンド島)を結ぶ橋の上で見物客が押し合いへし合いになり次々に転倒して重なり合い、現在のところ345人が亡くなったそうです。
実は先週、友達の誕生日会をこの橋の近くのレストランで行い、私はこの橋を始めて渡ってダイヤモンド島に行きました。
ダイヤモンド島は「ここは本当にプノンペンか」と思えるほどきれいに整備されていて、まるでお台場のようでした。
遊園地や何組ものカップルが同時に結婚式ができるような巨大施設もあるのです。
でも、それにしてはこの島を結ぶ橋は小さすぎるなと思いました。
私が歩いて橋を渡っていると、結婚式場から自宅に帰る多くの車が向かってきたのですが、歩道も無く何度も車と接触しそうになり(車はのろのろ運転でしたが)ちょっと怖かったです。
家族からメールがありました。
「大変な事が起こったね でも、あんたがその中にいなくて良かったよ 自身が気をつけられることはやって無事な帰国をしてください。」
友達がその中に含まれていないか、心配です。
もうちょっといます [青年海外協力隊 現地活動報告]
(この文章は2010年10月31日のものです)
1月にカンボジアでの活動を終えて帰国する予定でしたが、半年間の任期延長となりました。
そのため、帰国は7月上旬になります。
配属先の校長先生から『是非あと半年間いてもらいたい』との話で延長することになりました。
延長するか否か迷いましたが、
「配属先のやる気のある先生や学生達のために活動すればいいんだ」
と考え、もう少しカンボジアで仕事をしてから帰ります。
そのため、もう一度マンゴーの美味しい季節を迎え、
日本の寒い季節と花粉症からは逃れ(2月に一時帰国するんですがね)、
大好きな足立の花火が打ちあがる頃に日本に帰ります。
・・・ついでに三十路突入もこっちで迎えるんですがね・・・。

1月にカンボジアでの活動を終えて帰国する予定でしたが、半年間の任期延長となりました。
そのため、帰国は7月上旬になります。
配属先の校長先生から『是非あと半年間いてもらいたい』との話で延長することになりました。
延長するか否か迷いましたが、
「配属先のやる気のある先生や学生達のために活動すればいいんだ」
と考え、もう少しカンボジアで仕事をしてから帰ります。
そのため、もう一度マンゴーの美味しい季節を迎え、
日本の寒い季節と花粉症からは逃れ(2月に一時帰国するんですがね)、
大好きな足立の花火が打ちあがる頃に日本に帰ります。
・・・ついでに三十路突入もこっちで迎えるんですがね・・・。

卒業生を見送って [青年海外協力隊 現地活動報告]
(この文章は2010年8月27日のものです)
7月に2年生が卒業していきました。
私が授業を受け持った物理・化学コースの学生達は無事全員が晴れて卒業できたのでほっとしています。
思えば私がこのバッタンバン中学校教員養成校に赴任してはじめて知り合ったのが彼らでした。
はじめのうちは私はクメール語の会話に非常に苦労しましたから、彼らの言っていることがわからずカウンターパートの理科の授業に一緒に出たりして、難しい理科用語や授業内容を理解しようと努めました。
そのうち彼ら学生の方から化学や物理に関する質問をされるようになり、文通のような形で彼らとの交流が始まりました。
私は当時、学生たちに質問がある場合はその内容を紙に書いてもらうことにしました。
その場で質問されてもクメール語が聞き取れず、すぐには答えられなかったからです。
また、私の授業に関する感想を書いてもらったり、宿題などの添削を通して、だんだんと彼らとの交流が密になってきました。
彼らとは、授業以外でもバッタンバンの観光地へ一緒に出かけたり、パーティーで一緒に踊ったりして本当に楽しい時間を過ごしました。
その甲斐あって、私のクメール語は赴任当初とは比べ物にならないくらい上達することができました。
授業では、彼らに様々な理科実験を教えました。
難しい実験器具を使わなくてもできる実験や面白実験なども含め、将来理科の先生になる彼らにまずは理科の面白さを伝えたかったのです。
彼らもはじめは理科実験などまったく関心がありませんでしたが、次第に積極的に実験に取り組むようになり、教育実習中は、進んで自身の授業に実験を取り入れ生徒達から大きな関心を集めていた姿はとても頼もしく見えました。
また、私が彼らから学んだこともたくさんありました。
私の拙いクメール語を彼らは一生懸命に聞き取ろうとしてくれた優しい気持ち、もっと勉強したい・知りたいという向学心、私の事を外国人としてではなく一人の人間として見てくれたわけ隔てなさなどを思い返すと、彼らがいたからこそ自分は何とか今までやってこられたのだなと彼らには感謝してもしきれない気持ちです。
彼らはまもなく中学校の教員になります。カンボジアの中学校教師の月給はわずか6000円と非常に低く、彼らは、どうしても私塾を開いたりしてアルバイトをしなければ生活は苦しいでしょう。
それでも、「自分達はカンボジアの将来を支えていくんだ」という高い誇りと責任をもってもらいたいと願っています。
私との交流を通して、ほんの少しでもそのような気持ちが芽生えてくれたらと期待しています。
そして、10年後、20年後に「教師をやっていて本当に良かった」と言ってもらえたら、これ以上の喜びはありません。
11月には新入生が入ってきます。私は1月に任期を終えてカンボジアを去るので、新入生との交流はほんのわずかです。
それでも、どんな出会いがあるのかとても楽しみにしています。
写真1.科学クラブ参加の2年生と

写真2.狭い自宅で開いた33人カレーパーティー

写真3.卒業式で学生達と
7月に2年生が卒業していきました。
私が授業を受け持った物理・化学コースの学生達は無事全員が晴れて卒業できたのでほっとしています。
思えば私がこのバッタンバン中学校教員養成校に赴任してはじめて知り合ったのが彼らでした。
はじめのうちは私はクメール語の会話に非常に苦労しましたから、彼らの言っていることがわからずカウンターパートの理科の授業に一緒に出たりして、難しい理科用語や授業内容を理解しようと努めました。
そのうち彼ら学生の方から化学や物理に関する質問をされるようになり、文通のような形で彼らとの交流が始まりました。
私は当時、学生たちに質問がある場合はその内容を紙に書いてもらうことにしました。
その場で質問されてもクメール語が聞き取れず、すぐには答えられなかったからです。
また、私の授業に関する感想を書いてもらったり、宿題などの添削を通して、だんだんと彼らとの交流が密になってきました。
彼らとは、授業以外でもバッタンバンの観光地へ一緒に出かけたり、パーティーで一緒に踊ったりして本当に楽しい時間を過ごしました。
その甲斐あって、私のクメール語は赴任当初とは比べ物にならないくらい上達することができました。
授業では、彼らに様々な理科実験を教えました。
難しい実験器具を使わなくてもできる実験や面白実験なども含め、将来理科の先生になる彼らにまずは理科の面白さを伝えたかったのです。
彼らもはじめは理科実験などまったく関心がありませんでしたが、次第に積極的に実験に取り組むようになり、教育実習中は、進んで自身の授業に実験を取り入れ生徒達から大きな関心を集めていた姿はとても頼もしく見えました。
また、私が彼らから学んだこともたくさんありました。
私の拙いクメール語を彼らは一生懸命に聞き取ろうとしてくれた優しい気持ち、もっと勉強したい・知りたいという向学心、私の事を外国人としてではなく一人の人間として見てくれたわけ隔てなさなどを思い返すと、彼らがいたからこそ自分は何とか今までやってこられたのだなと彼らには感謝してもしきれない気持ちです。
彼らはまもなく中学校の教員になります。カンボジアの中学校教師の月給はわずか6000円と非常に低く、彼らは、どうしても私塾を開いたりしてアルバイトをしなければ生活は苦しいでしょう。
それでも、「自分達はカンボジアの将来を支えていくんだ」という高い誇りと責任をもってもらいたいと願っています。
私との交流を通して、ほんの少しでもそのような気持ちが芽生えてくれたらと期待しています。
そして、10年後、20年後に「教師をやっていて本当に良かった」と言ってもらえたら、これ以上の喜びはありません。
11月には新入生が入ってきます。私は1月に任期を終えてカンボジアを去るので、新入生との交流はほんのわずかです。
それでも、どんな出会いがあるのかとても楽しみにしています。
写真1.科学クラブ参加の2年生と

写真2.狭い自宅で開いた33人カレーパーティー

写真3.卒業式で学生達と
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